「いのち」 校長 古賀誠子
桜の季節が終わると、赤やピンクのつつじがとても美しい季節になってきました。フランシスコの庭や、哲学の道の緑もだんだん濃くなってきて、空気がいつもより美味しく感じます。まもなく、母の日、5月14日ですね。皆さんは、お母様にどのようにして、感謝の気持ちを表す計画ですか。国際教養の文化理解の時間に生けた色とりどりのお花のなかに、赤いカーネーションがありました。そういえばもうすぐ母の日・・・赤いカーネーションの花言葉は、「母への愛」「母の愛」「純粋な愛」「真実の愛」だそうです。
先日、ルーツの旅で、3年生と一緒に、熊本修道院、待労院、慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」を訪れました。(待労院、慈恵病院は、本校と同じ、マリアの宣教者フランシスコ修道会によって、設立されたものです。)3年生にとっては、本校の平和の旅・ルーツの旅のまとめともいえる旅です。「こうのとりのゆりかご」は、コロナの影響で、3年間訪問がかないませんでした。しかし、今年は、慈恵病院から特別に許可をいただいて、3年生は、小さなグループに分かれ、相談室の荻原先生より説明を受けながら、中をみせていただくことができました。「ゆりかご」は、正面玄関からはちょっと離れた人目につかないところにあります。背の高い植え込みがあって、外側からは見ることはできないようになっています。これは、お母さんと赤ちゃんへの配慮です。扉は二重になっています。一つ目の扉をひらくと、「お母さんへ」というお手紙が置かれています。中身は公表していない、秘密のお手紙だそうです。その手紙をお母さんがとると、センサーが反応して、2つめの扉を開けることができます。2つ目の扉を開けると、ベビーベッドが置かれています。そこは、いつも25度になるように設定されている快適な赤ちゃんベッドです。赤ちゃんが置かれると、また別のセンサーが反応し、アラームがなって、看護師さんたちが駆け付けます。お母さんが、「こうのとり」のマークのついたピンク色の門をくぐって、ゆりかごまで歩く細い通路には、「お母さんへ、赤ちゃんを『ゆりかご』に預ける前に、ご相談ください」、と書かれた看板があります。これには理由があります。法律上の問題です。お母さんが赤ちゃんをゆりかごに預け入れて去ってしまうと、赤ちゃんは施設にいかなければならなくなります。一方で、お母さんが、慈恵病院に相談すると、特別養子縁組など赤ちゃんの将来について話し合うことができます。たとえば、特別養子縁組で赤ちゃんを里親さんに託すと、愛情いっぱいに育ててもらうことが出来るのです。それは、赤ちゃんの発育にとっても大変好ましく、そして、お母さんにとっても、「我が子が幸せに育ててもらえる」という安心感につながり、お母さんと赤ちゃんの双方にとって幸せであると考えられています。
寒い日の朝、一人のある女性が、「ゆりかご」の扉にあるインターホンを鳴らしました。翌朝、彼女は出産し、自分では育てられないため、赤ちゃんの幸せを考え、特別養子縁組で育ててくれる夫婦に赤ちゃんを託すことに決めました。そのお母さんが、赤ちゃんに書いたお手紙をご紹介します。このお手紙は、お母さんが赤ちゃんに贈った最初で最後のプレゼントになりました。「今、あなたとお別れをする前の日の夜です。今あなたは何をしているのかな。寝ているのかな。泣いているのかな。ほとんど抱っこできなくて、ごめんね。明日から、たくさん抱きしめてもらってね。今、あなたに一番言いたいことは、「ありがとう」です。あなたがはじめてお腹の中で動いたとき、わたしは正直、どうしていいかわからなかった。あなたを産めるかわからない、相談する人もいない。毎晩、目を閉じても不安で眠れなかった。夜中の3時くらい、いつも私は川辺まで歩いて行って、お腹に手をあてて、あなたが動いたり、蹴ったりするのをただ感じていました。世界には私たち2人しかいないような気がしていた。あの頃、なんとか私はあなたの存在で生きていました。あなたが生まれそうな時まで、情けない私は、心の整理がつかなかった。だれにも相談できないまま、最後の望みをかけて、切符を買って、ドキドキしながら、長い時間新幹線に乗って、いつも通りに元気に動くあなたと真っ暗な道を歩いたこと、一生忘れられない夜です。病院で受け入れてもらって安心した瞬間、そんな気配もなかったのに、次の日の朝にはあなたが生まれてきて、びっくりしました。あなたは、本当にすごい子、そして親孝行ものです。あなたを育てられなくて本当にごめんなさい。でも、これだけは知ってほしい。私はあなたのことを、どこにいても、いつになってもずっと愛しています。なんの覚悟もなかったのに、生まれて、病室に戻ってうとうとしていたとき、その日はずっと曇り空だったのに、一瞬だけ眩しい光がさして、そのとき、やっと「あなたも私も幸せになる」と思えて涙が出ました。あなたは私に一生分の幸せをくれた。 ~中略~ たくさん愛されにいってらっしゃい。私もあなたに救ってもらった命を大事にして、頑張ります。ずっとずっと愛しているよ。」
このお母さんは、お手紙を読む限り、孤独だったということがわかります。誰も頼る人がいない、相談する人がいない、親に言えない、そのような孤独と不安の中にあるお母さんと赤ちゃんの命に寄り添うのが、「こうのとりのゆりかご」です。そして、お母さんは、この小さな命を守るために、新幹線の切符を買って、慈恵病院にやっとの思いでたどり着くのです。
「ゆりかご」の設立には、賛否両論があり、世論の反発、法的なハードルも高く、当時の安倍首相も、「安易な預け入れにつながる」と言ってこれを批判しました。なかなか設立までたどり着けない厳しい日々が長く続きました。その間、熊本県で、3人の赤ちゃんが立て続けにゴミ箱に遺棄され、2人の赤ちゃんが命を落とした事件が起こりました。「ゆりかご」の設立が急務になりました。「こうのとりのゆりかご」を設立した当時の慈恵病院の院長、蓮田太二先生は、「もっと早くつくっていれば、守れる命があった」と涙を流しながら報道で述べられていたのを覚えています。ここから、「こうのとりのゆりかご」は数々のハードルを乗り越えながら、設立へとたどり着きました。そこからは、奇跡の連続であったとも言われています。慈恵病院はもっとも大切なものだけに目を向けています。それは、もうお分かりかと思いますが、「命」なのです。命が最優先、「すべての命を守る」、私たちと同じマリアの宣教者フランシスコ修道会の理念を受け継ぎながら125年、そして本校は60年、今日も「地の塩、世の光」として働き続けています。
同じ会の伝統と歴史を受け継ぎ、今年で60周年を迎える福岡海星女子学院、今のわたしたちにとって、もっとも大切なものは何でしょうか。それは、本校のスクールモットーである「愛を持って真理に向かう」ことです。3年生の多くの人がゆりかごを出る時に流した涙、私は決して忘れることはないでしょう。「海星の生徒さんは、よく育っていらっしゃいますね。」慈恵病院のスタッフの方々にお褒めの言葉をいただきました。日曜日は、母の日です。愛と感謝の気持を素直にあらわしてみませんか。きっと「命の原点」に戻ることができますよ。